7月19日付産経新聞の
オピニオン欄、自称「正論」で、
百地章・日大教授がまたも
「憲法96条改正」を主張していました。
憲法改正の発議要件を
現在の全国会議員の3分の2から
2分の1に下げるという改正案は、
政権が変わるたびに憲法が
コロコロ変わるという事態を
招きかねない立憲主義の
破壊行為以外の何ものでもありません。
ところが百地は、
96条改正反対の急先鋒である
小林節・慶応大教授も、
自分との対談では
「9条などの改憲がなされた後なら、
96条の改正をしてもいいと思います」
と発言したと紹介し、あたかも
小林氏も一定の理解を示した
かのようなことを言っています。
そこで、その対談が載っている
別冊宝島『憲法大論争』を読みましたが、
小林氏は別に百地に歩み寄ったわけでも
何でもありませんでした。
小林氏は96条の規定自体については
「世界的にみればもっとも厳しいとは
いえないけれど、厳しい部類には入るでしょう」
と言っており、これを決して緩和してはいけない
と主張しているわけではありません。
しかし、国民を説得し、合意を得て
9条を変えることができないから
96条を変えてハードルを下げるなどということは
決してやってはいけないことであり、
憲法9条改正は堂々と国民的議論を起こし、
現行制度に則って
両院総議員の3分の2を獲得して
改正を発議しなければならないと主張しており、
その点は全く従来の持論を曲げていません。
考えてみれば、もしも憲法9条までもが
現行制度で改正することができたならば、
もうハードルを下げなくても十分
改憲ができると証明されたことになります。
その後なら96条の要件を緩和していいと
小林氏は言っているわけですが、
実際には、その時には改正の必要も
なくなっているのではないでしょうか。
つまり、「9条などの改憲がなされた後なら、
96条の改正をしてもいいと思います」
という発言には、実はほとんど意味がないのです。
そんなことも気づかずに、小林氏も
ある程度歩み寄りを見せているかのように
思っている百地は、そーとーのアホです。
なお、この対談では他にも
百地や他の自称保守派の憲法観の
誤りと危険性を浮き彫りにしている
部分がありました。
それはまた改めて書きたいと思います。